小船幸次郎先生と東京ギターアカデミー

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写真は横浜山手98番地の小船幸次郎先生の自宅サロンでの先生の写真。このサロンでギターのレッスンやパーティーが開かれた。


2005年9月に横浜磯子に住む「かーさ・むじかーれ」田頭 喜久彌さんと名乗る人物から書簡が届いた。小船幸次郎先生を記念する会が小船幸次郎先生を記念する出版企画があるので何か書いて戴きたいと言うものであったその後何回か電話でお話した事で書くことが見つかったので文章を書くことにした。

私が東京ギターアカデミーを知ったのは横浜山手の小船照子先生のギタークラスに入門してまもなくであつた。20代の前半であった。
東京にギター専門学校があり、小船幸次郎先生が学長をしている。是非入学しなさいと奥様の小船照子先生から薦められて志願した。
当時私は自分はギターが上手だと思い込んでいたので「渡りに船」で受験した。

東京ギターアカデミーの入学試験の課題曲

A.セゴビアのハ長調、イ短調の音階
M.ジュリアーニのソナタブリランテ

M.ジュリアーニのソナタブリランテは難しかった。それまで私が弾いていたギターの曲とは全く違っていた。古典的様式で書かれたギターの曲を私は全く知らなかったのである。
入学試験に合格したことで私の新しいギター修行が始まった。
多くのギターリストと同じようにソルフェージや和声学を学んだ事はなかった。はじめてそうした授業を受けるのは驚きの連続であった。今まで弾いてきたギターの世界と全く異なる世界にただただびっくりの連続であった。

授業はスペイン語、和声学、音楽史、ソフェージ,その他であつた。

ここで東京アカデミーがどのように組織されていたかと言うことを説明する必要がありそうだ。

東京近郊のギターの先生が集まって学年別の課題曲を決めてギターを教える。そうして普段個人のギター教室で教えられていない一般の音楽学校で行われている音楽に関する知識や実技を東京ギターアカデミーで教えようと言うものであった。
ギターを教えている先生たちのお弟子さんたちの中から優秀で熱心なお弟子さんたちが東京ギターアカデミーに入学していた。
初期の東京ギターアカデミにはもう既に演奏活動をしているギターの世界では名の知られた若い演奏家もいた。彼らもギターを弾くだけでは先の展開が見えないと気がついていた人たちであった。
私がその東京ギターアカデミに入ったのは発足から一年ぐらい経過した頃だったと思う。
その頃東京ギターアカデミーは水道橋で降りて神保町の方に歩いて5分ぐらいのところにあったYMCA同盟を借りていた。一階のホールでは入学試験や進級試験が行われ、二階の教室では普段の授業が行われていた。授業は毎週一回のペースで続けられた。
和声学は「ギターの友」を出していた玖島隆明先生、ソルフェージは東京芸術大学声楽科を卒業したばかりの二期会の大槻秀元先生、音楽史は小船幸次郎先生、スペイン語は大沢一仁先生であったと記憶している。

ここで東京ギターアカデミーで行われていた進級試験の課題曲を載せよう。記憶があやふいところがあるが大体は掴んでいただけるだろう。

東京ギターアカデミーの進級試験

一年生 M.カルカッシ25の練習曲
    F.カルリのソナタ
二年生 F.タレガ12の前奏曲 N.コスト25の練習曲
三年生 A.セゴビア編集のF.ソル20の練習曲 トロバのソナチネ M.ポンセのソナタクラシカ

研究科一年生 H.V.ロボスの5つの前奏曲
H.Vロボスの練習曲 
研究科二年生 J.ロドリゴのアランフェスギター協奏曲

その他に初見の試験があった。いきなり見たこともない楽譜が提示されその場で弾かなければならなかった。

私が入学してまもなく学長である小船幸次郎先生から「学生演奏会」をすると発表になった。先生自らがギターのレッスンをしてその結果を「学生演奏会」に持って行くと話された。そうして小船幸次郎学長のじきじきのレッスンが始まった。

先生は「ギターの打弦はピアノの打弦と同じ、大きい音でなければ舞台では客席まで音が届かない。」「打弦の基本を覚えるために右手の爪を切って指頭の肉でギターの弦を弾きなさい。」「弦の振動を自分で確認せよ!弦の大きな振動が目で見られるだろう!」…。
片っ端からレッスンを受ける学生たちの右手の打弦の方法を直して行く、時には学生の右肩から先生の太い右手がぐーと延びてきてギターの弦をこれでもかこれでもかと言わんばかりにギターの弦を打つ。

それまで学生たちのギターの音は小器用に可愛らしくギターを弾いていたのを先生は破壊した。
「音楽表現のはじめにフォルテとピアノがある。」「小さい可愛い花よりも大きな花園のような音楽をギターで表現するべきだ。」と言いきった。そうした教えを受けて我々学生は右手の爪を切ってギターを弾き直した。文字通り爪を失った猫であった。確かにギターの音は大きくなった。しかしそれはギターの音ではないと言う批判が渦巻いたが先生は平気な顔をしていた。

そうした右手の指奏法で私たち学生は「第一回東京ギターアカデミー学生演奏会」を東京銀座「ヤマハホール」で開いた。開場は満員。小船先生がギターで何を目指しているのかと言うことにギター好き達の関心があったのかもしれない。

その当時ギター界は渡辺紀彦さんや山下和仁さんが出て来る前の時代だったから技術的にもまだまだの時代であった。

小船先生は本当に日本のギターの為にご自分の時間を割こうと真剣に思っていたと推測される。それはその時に始まったことではない。1930年代に横浜ギター協会の機関紙を読めばよく分かる。又小船先生は毎週横浜から東京水道橋まで通って来ていたことを考えたらそれは分かる。大変なことだつたに違いない。

授業は楽しいものであった。よくクリスマスになると授業の合間にケーキとお茶でお祝いをした。
私は図らずもギター界の第一線で活躍しているギターリストを東京ギターアカデミーを通して知り合いになれたことで大満足であった。先生達が試験や音楽会の後親切にアドバイスをくれる。本当に感謝であった。

私事になるが私が東京ギターアカデミーに通っていた頃は私自身としてはまだギターを一生の仕事にするかどうかは決心がついていなかった。小船幸次郎先生が授業の中で「ギター音楽は男が一生かけても研究尽くせないほど奥が深い。」と言われた時心が決まった。「やってやろうじゃないか。」と思った。

東京ギターアカデミーはその後も「東京ギターアカデミ学生演奏会」「東京ギターアカデミー教授演奏会」を続けた。
 私の知っていることで大きな演奏会では名古屋に出かけて「東京ギターアカデミー学生演奏会」をした。超満員の会場で私もギターソロを弾いた。

その後東京ギターアカデミーは教室を転々と変えて行くことになる。そして小船先生はその頃から始まった全音楽譜出版社のギター関連の出版の仕事もするようになった。さぞお忙しい時間を過ごしていたことであろう。長年温めて来たギター音楽の思いが本と言う形で実現した。

「ギター和声学」「ギターの楽典」「ギター音楽講座(ギター音楽とその表現について)」「ZEN-ON GUITAR LIBRALY」「音楽形式によるギターの階段」J.S.BACH 無伴奏チェロ組曲」など多数にわたった。
私も「ZEN-ON GUITAR LIBRALY」で先生の編曲によるイギリスのリュート作品の小品を録音、ソノシート付き楽譜で出版された。

現在日本のギター界は国際的になり、さらに一般のクラシック音楽と対等に仕事をしている演奏家も多い。

小船先生の考えている事を実際の仕事の中で一番生かしている演奏家は小船先生に師事していた山下和仁さんではないかと思う。

残念ながら東京ギターアカデミーは、諸般の事情で自然消滅した。「東京ギターアカデミー」を知っている人達も今は数少なくなった。先生の東京ギターアカデミーでの仕事は未完成に終わった。しかしそこで青春を送った我々にはギターを考える時、先生から教えていたただいた事がいまでも原点になっている。

小川 彰


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by akiraogawaG | 2006-01-25 23:22
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