カテゴリ:ギター( 11 )

ギターリストの左指

「魔笛の主題による変奏曲」を弾くと左指の状態がいかに大事かと言う事が分かる。
僕の場合角質体質だからもろに分かる。
スラーや飾り音が綺麗に出ない。
そこでカッターを使って削る。持っていたカッターは錆びている。100均で新しいのを買ってこよう。
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by akiraogawaG | 2012-03-01 10:02 | ギター

10小川彰ギター教室発表会

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今年の発表会が終わった。今回は出演奏者が少なかった。本来の数に近づいたと思う。K氏のお弟子さんの参加も無かった。旧来のお弟子さんの参加も無かった。お休みのお弟子さんも何人かいた。反省点に来ていると考える。内容は悪くは無かった。特にMさんの進歩が著しい。その背景は彼が退職して時間が沢山ギターの為に取れるようになったこと、彼の所属しているマンドリンアンサンブルの演奏活動が多いと云うことに由来している。そのMさんとSさんの進歩は目覚ましい。その他新しく参加した中学生のMさんが新鮮だった。
フルート、リコーダとギター二本のアンサンブルも初めての試みだったが成功。これからもこうした学習はギター奏者はするべきだ。ギターの大きな欠点のひとつはアンサンブルに向いていないと云うことだ。このことは案外知られていない。フルートの笛吹YUKOさんもその話が出た時、ギターでアンサンブルすればと云っていたがそれは彼女がギターを本当には理解していないからだ。音楽は単に楽しければ良いと云うものではない。創造的な何かを作り出す事だと考える。ギターで何が可能か!それが重要だ。僕はそんな事を考えている。お客さんの為でもない。お弟子さんを引き止めて置く為のものでもない何か…。
まだ録音されたデータも録画されたデーターも検証していない。皆忙しすぎる。なかなかデータは出てこない。
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by akiraogawaG | 2010-04-22 09:43 | ギター

鎌倉オリーブの木第7回音楽講座「ギターよもやま話」

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はじまりは、私が「鎌倉オリーブの木」が会場貸しをすると云うので出かけた。
するとどうしたことなのか?ここで「音楽セミナー」をしているY氏にあって話をしている内に「音楽セミナー」の講師をすることになってしまった。
何故?私の中にギターの歴史を勉強したいと思うところがあって機会を待っていたのがひとつめの理由。ふたつ目は鈴木妙子さんと去年の夏に「鎌倉近藤」で演奏したものを再演したい。ついてはその前に宣伝になるかなと思った事だ。

お客さんの前で話して、演奏と言うことはよくすることだけど大抵は曲目解説とかが多い。
ギターに関する四方山話とは?Y氏と話をしたことをそのまんますれば良いのかと思って引き受けた。

自分で原稿を書いて練習をしている内こりゃ大変だと思って来た。のりが悪い…。
何が原因なのか?考えてみたら、話す対象の焦点をどこに合わしたらよいのか分っていないから困っているのだとわかった。学校なら大学生、或いは高校生。地域ならおばさん、おじさんたちとか対象がしぼれるが、誰が来るか分からない会ではどの程度の話をすれば良いのか分からないのである。練習しても無理だと分かったので当日のお客さんのお顔を見てからにしようと決心した。話のおおまかなメモを作って譜面代の上に置いた。

そんなにお客さんは来ないと思っていた。ところが予想に反してお店のなかが人で溢れかえるような事になってしまった。嬉しいんだけど困ったなと思った。この前のセミナーの時もせまいと苦情がでたそうだ、同じことになる。

しかしもう始めなければならない。始めたらもう止められない。

マイクなしでお喋りをして演奏する。ギターの方は音量が分かっているので心配はしていないが、問題はお喋りだ。いつも「もっと大きくゆっくりと」と自分に云いきかせるのだが、お喋りに夢中になるとすぐ忘れてしまう。前半ではお喋りを多く、後半では演奏中心にした。
リハをしている時、主催者からアンコールに歌をと云われて、「えっ!楽譜もってきてないよ」。そこでお店のパソコンを使って私の楽譜サイトに行き楽譜PDFを開き印刷。なんて便利なんでしょう。賛助出演してくれた鈴木妙子さんに感謝。


3月7日(土)に同じ「鎌倉オリーブの木」で今度は鈴木妙子さんの歌で「ギター伴奏による オペレッタ、ミュージカル」をする。ギターの独奏も2曲は入る。久しぶりにモーツアルトのフィガロの結婚のアリア「恋とはどんなものかしら?」演奏する予定。楽しみだ。
どうか皆さんお出かけください。今度は人数を初めに決めてお店の雰囲気を生かした会にしよう。申し込みは定員になったら締め切ります。早めの申し込みをお願いします。

鈴木妙子歌サマータイム

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by akiraogawaG | 2009-01-25 22:58 | ギター

川崎マンドリンクラブ60周年記念演奏会

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私のお弟子さんのMさんがメンバーである川崎マンドリンクラブ60周年記念演奏会が川崎幸文化館で11月15日に開かれた。何年か前にもここのクラブの演奏会を聴いている。地味な活動をしているグループでアマチュアの団体として上質な演奏をする。指導者が優れている。ギター奏者の手の動きを見ていてもあの程度のテクニックで良くもあんなに長い曲や難しい曲を演奏してしまうかよく分からない。多分指導者が優れているのである。曲目はマンドリンアンサンブルの原曲、ギターの合奏、チャイコフスキーの「くるみわり人形」と盛りだくさんだつた。ギターマンドリン以外にも川崎にあるオーケストラの団員の応援でフルート、ファゴット、オーボ、打楽器が入って曲を盛り上げていた。

我が国に於けるマンドリンギターアンサンブルはシンフォーにオーケストラが入る前に盛んに行われた分野で今では時代遅れの感はあるものの多くのマンドリンギター愛好者の間で楽しまれて分野だ。我が国に於いてはギターはその後ギター独奏の分野に発展して行く、多くの先輩たちの努力で今日の優秀な若いギター演奏家を生んだ。マンドリンギターアンサンブルは趣味的感覚で続いている。マンドリンギターアンサンブルはマンドリンギターの愛好者が本格的なオーケストラを小さくまとまった型で楽しめると言うもので音楽の基本を学ぶのにとても良い。ギターアンサンブルはギターの愛好者たちがともするとやりたがる分野だがこれは面白くはない。一つのギターが15台のギターになっても15倍の音量にはならない。このコンサートではコントラベースが入っていたので音楽の支えがしっかりとして聴ける音楽にはなっていた。不思議なことだが一台のギターの音よりは小さく感じてしまう。むろんそれは間違いなのだが、多分指が弦を打つ時ののタッチの差が音を消しあう作用に働くのではないかと思われる。データ波形として見たわけではないので正確には言えない。今度データを見て見たいものだ。

この演奏会のように大勢のお客さんがいてマンドリンギターを弾ける楽しみは大きな喜びにもなっているのだろう。
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by akiraogawaG | 2008-11-16 09:33 | ギター

久しぶりのギター合宿

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08年8月23日(土)から24日(月)熱海多賀で何十年ぶりにギターの合宿を行った。

昔のギターの合宿は期間も5日から7日の期間。西伊豆半島の雲見とか妻良、富士山の周辺西湖、房総半島保田など遠隔地が多かった。いまより交通事情も悪かったのに大勢参加した。参加者ほとんどが学生か社会人であった。

合宿プログラムもギターの基礎練習が中心であった。民宿を利用して最終日には土地の人たちが参加して音楽会をした。客席を作るため学校から椅子を借りてきたと言うような事もあった。

さて今回の合宿は参加者が14名そしてその半分以上が一泊して帰った。

合宿と言うより親睦旅行のような感じだったがやはり合宿になった。絶え間なく誰かがギターをひいていた。

八月はずーと晴れが続いていたのに23日から雨が降り始めた。まるで「雨の国」にやってきたような感じだった。

個人レッスンとk氏による「ギター奏法」の講義とシンプルな音楽会が行われた。

バイオリンのU氏とリコーダーのY氏が参加してアンサンブルの練習も盛んに行われた。

合宿の効果はその後の普段の稽古に現れた。いつも上手な人だ。凄いと思っていた人が実は凄い練習量をこなしているのを見て、「私は練習が足りないから下手なのだと分かった」と,だから練習した。なるほど上手になっている。

エレキギターでベンチャーズに狂っていた人がクラシカルなギターの複雑なテクニックに関心を持つようになった。

合宿は貸し別荘「華の館」で行われた。 

華の館
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by akiraogawaG | 2008-09-11 09:44 | ギター

斉藤敏雄さんを偲ぶ会

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 昨年亡くなったギター奏者斉藤敏雄さんを「偲ぶ会」が彼がよく行っていた横浜中華街の「富貴楼」で4月6日(日)に開かれた。
出席者は遠藤哲夫、黒沢一宏、青木信行、中沢貞夫、加藤和夫、松村 繁夫妻、小山智也、森島良三、、塚本さん、そして斉藤敏雄さんの奥さん斎藤奈三江さん、
いずれも斉藤敏雄さんが若い頃お付き合いをしていた頃のお仲間だ。
特に青木信行さんは斉藤敏雄さんが亡くなる時までその周囲にいて彼の遺したギターの売り手先を探すことに奔走したとの事だ。なかなか出来ることではない。
皆それぞれ何らかの形でギターを今も弾いている。その事はそれで素晴らしい事。なかなかそうはならない。嬉しい事。

話は殆どが思い出話に尽きた。

私はそうした過去の思いで話は本当は話したくない。過去を否定はしないしかし私は今日のことは明日になったら忘れたい。
私の頭脳の中の容量はもう殆ど満杯なので空き容量を作るために過去の事は削除したいのである。
食べたものが体の栄養になる。そして糞になって出て行く、それで良いのだ。その時その時の精神とエネルギーが保たれていればそれで良いのだ。
記憶の蓄積が腐って死に体状態に変化して、まるで真っ黒い便秘糞のように残るのを私はなるべく避けている。
「過去の思い出を人は自分の都合の良いように変化させているものだ。」とはよく知られた事だ。

「昔の仲間が集まれば昔の話」と言うのに耐えられない。「昔の仲間が集まって明日の未来の語る」そんな集まりをしたい。

多分そうなってしまうと初めから分かっているのだから出席しなければ良いのだが「もしかしたら…」と思う気持ちを持って出席した。

斉藤敏雄さんと最近お付き合いをしていなかった。病気見舞いもしなかった。それだからだろうか私には「斉藤敏雄さんは消えた」とまるで行方不明になった人を偲ぶような感じでビールを飲んでいた。
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by akiraogawaG | 2008-04-15 22:35 | ギター

10月01日蒼き狼 斉藤敏雄の死

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ギタリストの斉藤敏雄(65才)が死去した。ここ数日の気温の激しい変化に耐えられなかったのであろう。街でひと月程前ギターリストのU氏に偶然あった。その時U氏から斉藤敏雄さんが危ないと言う話を聞いていた。斉藤敏雄愛用のギター「ホセ・ラミレス」を売りたいと言っていると言う話も聞いた。「終わり」だ!。
ギターリストがギターを売りたいと言っているのは終わりを意味する。

ここ何年も斉藤敏雄には会っていなかった。横浜元町に彼は住んでいたのでそんなに遠くではないのに何故会わなかったのか?私の方から言えば気軽に会える気持ちになっていなかったと言える。お互い仕事で共有する部分があれば会ったであろうが、それはなかった。斉藤敏雄は私のお弟子さんである。

斉藤敏雄さんはオートバイライダー、そして旅人であった。昔どこから見つけて来たポンコツの車に乗って彼はひとり出かけたりもしていた。その車に便乗して何度か一緒に旅行をしたことがある。静岡、京都、小浜、名古屋…。

若い頃の彼は自転車にのって日本一周を成功させた。自転車にギターを積んで出かけた。旅費がなくなるとアルバイトの口をみつけて何ヶ月か滞在してお金をため又自転車に乗る。日本一周は何年間もかかった。時々横浜にも帰ってくる事があったりして各地のギター事情を知らせてくれた。

未完のギタリスト斉藤敏雄。器用にギターを弾くことから彼はギターを始めた。独特の練習方法を編み出し修行をしていた。ギターの響きに対する感性の鋭さは彼自身をも振り回していた。どこにでも顔出してギターを弾きまくる。「斉藤さんにギターを渡したら弦がすり減る」と言ったギタリストがいる。

65才の斉藤敏雄さんを私は知らない。70才の斉藤敏雄さんを私は知らない。よぼよぼになってはいずり回ってギターを弾く幽霊のようなギタリスト斉藤敏雄さんを私は見たかった。それは想像するににも恐ろしく美しかったに違いない。
「死は終わり」を意味する。その先は無い。私のなかで長い間居座り続けたギタリスト斉藤敏雄は消えた。私はその先を生きる。世界はどうなってゆくのだろう?もっともっと面白いことがあるに違いない。私はそれを見たい。

「さようなら」斉藤敏雄さん。

斉藤敏雄略歴
 
1942.11.25 横浜生 射手座 B型  趣味:オートバイ
小川彰、松田晃演、兼古隆雄、各氏師事。県立音楽堂にて77、78、81、92、93年リサイタル。県立音楽堂の「音楽鑑賞の夕べ」にソロリサイタル。能楽師松井彬、薩摩琵琶荒井姿水両氏とパフォーマンス、「さくらファンタジィー」を94年チェコ・ハンガリー・ドイツにて95年スペイン公演。85年「詩と音楽の夕べ」を俳優高橋長英、女優中村たつの両氏とリコーダー小俣達郎氏と 共に公演、130回以上を全国各地で公演活動中。他俳優の夏木勲、大和田信也、大和田獏。シャンソン歌手元次郎、舞踏 ギリヤーク尼ケ崎の各氏と協演。
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by akiraogawaG | 2007-10-01 17:52 | ギター

長野玉村本店での音楽会

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長野県沓野から上林温泉への坂道を折りたたみ自転車「DAHON」に乗って登っていた時、「よくこんな坂道を登るね!」と声をかけられた。見ると坊様とも神主様とも紛うばかりの男の人と出会った。これが玉村本店での「小川 彰とその弟子達による小音楽会」の始まりになった。
07年8月24日(金)の夕刻であった。私はその時今晩泊まることになっている「せきや」と言う宿を探していた。道を尋ねたいと思っていたので、これ幸いと道を尋ねたついでに今晩の「玉村本店」でのコンサートをすることを宣伝した。
まさか!その人が音楽会に来るとは思わなかったが、その人はお嬢さんをつれて音楽会に来ていた。
事の始まりはこんな風に始まった。折りたたみ自転車「DAHON」を何に包んで電車の中に持ち込もうかと考えていた時、ふと思いついたのが唐草模様の風呂敷であった。自転車を風呂敷に包むと言うアイデアに気を良くしていたので、A夫人にそのことを話したら「私の家に唐草模様の風呂敷があるので差し上げます」と言われて、すぐに戴いてしまった。
唐草模様の風呂敷の写真を撮りA夫人に送ったところ、写真はA夫人の妹さんで長野県山ノ内の「玉村本店」のお内儀さんに転送された。

ぼくは「玉村本店」のギャラリーの写真を見て「素敵なところだ、こんな素敵なところでギターが弾けたらな〜」とA夫人に申しあげたところ心良く連絡してくれて「どうぞ」と言われてその気になった。「玉村本店」のお内儀さんはA夫人の妹さんにあたる。

初めは一人で出かけることにしていたが、ギターのお弟子さんに話したところ「私も行きたい」と言う人が出てきて計5名がギターを弾き友人のリコーダー奏者がリコーダーを吹くと言うことになって計6名で音楽会をすることになった。音楽会の後、サイクリングをしようと計画された。なんて贅沢な事!

お客さんは約50人。地方の新聞社の記者が取材に来ていてインタビューを受けた(新聞に載ったかどうかは分からない?)
折りたたみ自転車を持った演奏旅行と言っても車で行く人がいたので成り立ったが、果たして車無しで成り立つだろうか、かなり難しい?体力もさることながら自転車一台を車内に運び込むことで精一杯でギターまではと言うことだが試して見るだけのことはありそうだ。

音楽会は成功だった皆さんに喜んでもらえた。嬉しい。

翌25日(土)車で横手山や白根山に出かけ、その日は志賀高原で「玉村本店」で紹介された「シャーレ志賀」に泊まった。

07/08/26日(日)上林温泉から小布施まで20キロを自転車で走った。標高差500mの下り坂は快適そのもの原付に乗っているかのようだ。
長野電鉄小布施駅の改札を出るとすぐ左横にある「六斉舎」はグランドピアノが置いてある。そこで自転車組と車組が合流した。なかなか小綺麗なホールで気持ちがよい、コーヒや冷たいビールやお菓子などを食べながらギターを弾いた。するとお店の人も参加してちょっとした音楽会になった。機会があったらここでも音楽会をしようと話は盛り上がった。



玉村本店創業文化ニ年・1805年

上林温泉湯宿せきや

志賀高原スキー宿シャーレ志賀

長野電鉄小布施駅の六斉舎
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by akiraogawaG | 2007-09-03 09:15 | ギター

僕が大和市音楽家協会の会員である理由

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大和市音楽家協会の「福田コミュニティーセンター20周年記念パーティー音楽会」が終わった。
私の出番は会長の松木敏治さんの歌の伴奏「さよならグラナダ」吉野 裕子さんのフルートとの共演「ハバネラ」「花を領けて」と小島海治さんのリコーダとの共演「グリンースリーブス変奏曲」とギターソロ曲であった。

大和市音楽家協会には二年前ほど前に入った。これは神奈川県大和市を中心に活動している職業音楽家の集まりである。
主な活動は大和市に点在するかなりの数のコミュニティーセンターが主催する音楽会、年に一度のクリスマス時期のマラソンコンサートである。これらの演奏会は大和市音楽家協会が主催する。

重要なのはこうした大和市音楽家協会音楽会を通して会員同士の親睦と情報交換から生まれる個人サイドでの共演する音楽活動であろう。

さて会員は歌い手とピアニストが圧倒的に多くその他フルートなどの管楽器、リコーダ、バイオリン、作曲などなど…である。

ギターは僕ひとり。なぜ私がこの会に入っているかと言うことなのだが、まず会長の松木敏治さんとの長いお付き合いがある。そしてもっとも僕が大切なことだと思っている事は、私はギターを「音楽全体の中のひとつの分野」と見ていることだ。

日本には残念ながら一流音楽大学にギター科はない。ギターをアカデミックに勉強したいと思ったら海外に行くしかない。

過去にたまたま知り合った松木敏治さんを含めたアカデミックな教育を受けた人達との交流で私は大きな勉強をさせてもらった。それが大和市音楽家協会につながっている。

日本のギターリストの世界は第一線で活躍している人は別だが、殆どは怪しげなお仕事をしている。素人の小母さん達を集めてギターアンサンブルなるもの作って、「ちょっとまて!それはないんじゃないんですか?」と思えるような仕事をしている。それはそれで生活の為なのだから、私は直に非難する気持ちもないし批判もしない。しかしそうした平和で安穏な世界で「先生」と呼ばれて安穏に暮らしている人達の精神を私は嫌っているのだ。

少なくも大和市音楽家協会の会員で演奏会でお目にかかる演奏家たちは精神のためのよいお仕事をしている。

僕はそうした人達の仲間のひとりでいたいのである。
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by akiraogawaG | 2007-06-26 11:17 | ギター

昔のギター教室今のギター教室。

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先日しばしば共演する歌い手のM氏が合わせの練習にやって来た。練習が終わって近所の中華料理店に夕食を食べに出かけた。

その時M氏が話した事から日常的に感じていることを書きとめる事にした。

M氏の話、東京芸術大学へ進学する前の宮崎県での高校生の頃、歌の稽古に行くと先生のところにまず半日はいたと言う。
先輩達の稽古を聴いたり、途中稽古場を抜けて空腹を満たすために買い食いをしたりした。そんな事で高校生で「イタリヤ古典歌曲集」二冊を殆ど覚えてしまっていたと言う。

僕がギターを勉強していた時もそれによく似ている。稽古の約束時間と言うのは無かった。曜日だけが決まっていて適当に行く、自分の番がくるまで人の稽古を聴いたり、先生の持っていた楽譜を写譜したりした。途中で抜けて仲良くなった仲間とお茶を飲みに行くこともあった。

生徒さんが多い日などは先生が教えきれそうにないなあ〜。と思う時は先生に「私は今日は…」で済んでしまう。その代わり時間のあるときは自由にいくらでも教えてくれた。雨の日や雪の降るような天気の日は(天気が悪いので今日来るお弟子さんが少ない沢山お稽古してもらえる…。)と無理をしてでも勇んで出かけた。

先生だけが先生ではなかった。先輩達や仲間達からこうした方が良い、こんな曲があるなどの情報をもらい励まされてギターを覚えて行った。

さて、この頃のギター教室はどうか?生徒さんは決められた時間に分違わず来る。稽古時間が終わるとそくさと帰る。先生が「あなたは勉強していないから…」と時間を短縮しようもんなら抗議が来る。

楽譜のコピーが簡単に出来るから楽譜を書くことは殆どない。楽譜を書くことが出来ないギター奏者が出てくる。

生徒同士のお付き合いがないので情報が少ない。従って先生に全ておんぶにだっこだ。先生もいらいらして時間ばかり気にしている。

「カルチャーセンター」なるものが出てから「お稽古」は「レッスン」なって「カルチャーセンター」側からは「ビジネス」になった。それは生徒の利益よりも企業の利益が優先されるシステムだ。
つまりは儲からないものはやらない。コンビニが出来ては消えて行くのと同じで、そこには責任と言うものがまったくない。

本来ギターに限らずそうした芸事を教える事はビックマネーにはならないものなのだ。
それなのにビジネスとして多額の広告費を出して、多くの人達から金を集めようとする企業は後を絶たない。

ごり押しの無理がそこにはある。講師に払うお金をとことん少なくする。弱い立場の講師は我慢するのである。

大きな資金で広告をする企業に小さい資金での広告は勝てない。

大抵の講師の生活は親任せ夫任せの生活。つまりは「小遣い稼ぎ」なのである。
企業に足下を見られているのである。驚くような実力を持った音楽家がそうしたところで講師をしているのを見てこの世界は厳しいと感じる。

昨今問題になっている「NOVA」がその例だ。多かれ少なかれ企業の経営する「カルチャーセンター」的教室は本質で「NOVA」と変わらない。

ギターの先輩として、はっきり言おう!ギターを本当に勉強したいのなら個人の先生を捜しなさい。

優れたギター奏者やギター教師は数は少ないが必ずそんなには遠くないあなたの近くにいるはずです。
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by akiraogawaG | 2007-06-23 09:10 | ギター