カテゴリ:旅( 4 )

12年9月4日夏の合宿で安曇野に出かけた。
参加者はMさん、Sさん、Yさん、Oさん、それに私。
私は出かける日、生憎昼に用事が有って行きは電車になった。
八王子に出て「あずさ」に乗って松本へ大糸線に乗り換えて「穂高」で降りた。
ギターを持って電車に乗って旅をするのは久しぶりだ。旅は一人が一番良い。

車窓に流れてゆく風景が楽しい。子供の頃電車に乗ると窓から顔を出して風景を味わった。家に戻ると目にゴミが入っていて
目を洗った。

その頃の電車は窓が空いて首を出せた。
首だけじゃない。足も出した。
夏福岡から夜行列車で大阪に向った事があった。足を窓から出していたところ岡山駅で駅員に足を叩かれた。

昔の旅はのんびりだったね。



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by akiraogawaG | 2011-09-08 08:49 |

9月19日(水)Geoff帰る。

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Geoffry Hiller氏55才。彼は4週間の日本滞在を楽しんで9月29日(水)の朝。家族の住むオレゴン州ポートランドに帰って行った。キャリア付きのバック、カメラバック、リックサックを持って日本へやって来た。中身は日常品以外はノートパソコン、ICレコーダ、外付けハードディスク、小型ビデオレコーダ、二台のデジカメ。デジタル器機満載の旅だ。

夜私の家に戻ると昼間撮影した写真を外付けハードディスクに保存する。パソコン上で気に入った写真をPhotoshopで編集、FrickerにUpする。

Geoffry Hillerがこの前日本にやって来た25年前と比較すると驚くほど地理的、感覚的距離は縮まっている。彼の所有するデジタル器機は殆どが日本製、私との不便な会話もパソコンやインターネットの事になると会話が進んだ。


一緒に街に出かけると英語で話を出来る若い人が多い。25年前はこんな事は無かった。英語を話せる外国人にとって日本は旅行がしやすい場所にさぞかしなっているのだろう。英語がどうのこうのと言う話でなく、話が通ると言うのは良い事だ。二人でTVを見ている時に政治の話や世界の話になると私にはそれを詳細に話せる事は出来ないが、彼がどんな感じでいるかは察する事は出来る。

以前から何故彼が群衆を撮りたがるのか?とても不思議だった。NewYorkに私が行っていた時、彼は「Black star」と言う名の写真配給会社にアルバイトに出かけていて私に「毎日毎日世界から送られてくる写真を眺めているが、誰が真実を言い、誰が嘘をついているのか顔を眺めている内に分かるようになった。」と話していた。

彼は彼の独特の感性からカラフルな写真を好んでいる。そして人々の中に見られるシーンの中から「人とは」を探している。それが彼の「ユマニティ」なのである。
私は「私は人は好き、嫌い!」と言う両面の中に生きている。殺人を犯す人は「人でなし」と言うが、やはり人だ。だが人が社会的存在である以上、人を殺す人は「人でなし」なのである。動物は動物を殺しても罪にはならない。話は横道に入った、戻ることにしよう。

Geoffry Hiller氏から私が学んだ事は人々のシーンを切り取ると言うことだ。しかしこれは難しい。カメラを持って私は美しい海や富士山や花を撮ったが何かもう一つ何か足りないと言う事を感じていた。それは私の資質の問題だ。そこで大分前から何とか人々のシーンを撮りたいと思っていた。もしそれが肖像権に触れるのなら人々の顔を動物の顔に置き換えてみようかとも思っている。

街の通りに面したコーヒショップでテーブルの前の椅子に腰掛けて人々の様子を見て際限のない「人々物語」の空想に耽るのは楽しい事だ。

私が撮った人々の写真をモニター上でGeoffry Hiller氏に見せて「あんたに、これ教わった!」と言ったら、嬉しそうに「そんなことないよ!」と笑っていた。
その時の写真。
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by akiraogawaG | 2007-09-21 11:38 |

ジェフリ・ヒラー氏の事

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25年ぶりにジェフリ・ヒラー氏が再来日、私の家に滞在している。
お土産に貰ったのがこの作品である。

まず作品を見て気がつくことは水平線が右へと12度傾斜している。何故?
人は誰でも普段見慣れないもを見た時に不安感を感じる。何故水平線は右下に傾斜しているのだろうか?

ここからが私の想像の物語になる。

この写真はブラジルの何処かの港の風景だと思う。左側の建物は港を守る古い要塞ではないだろうか?先端に高く見張り台がある。
少年から青年になろうとする若者が彼よりは年上の女の求愛に戸惑っている。右の道が海の方へ延び先に男がひとりいる。
左に愛の形、右に対照的に孤独な男の形を配置している。
さて水平線の右下がりの不安は作者が意図的に作ったものだ。少年の戸惑いと不安感が水平線の右12度傾斜の中に読み取れる。


ジェフリ・ヒラー氏は好んで群衆の中から偶然的に彼の心に響く不特定多数の人物を直感的に探し出す。


ジェフリ・ヒラー氏は私の家をベースにしていま写真撮影の日本旅行をしている。




いまは昔の話である

私が初めて海外旅行に一人で出かけたのは26年前の冬の事であった。
旅先はパリを経由してスペインのマドリーに行き、後はスペイン南部アンダルシアに行く、その先は何も決めてはいなかった。40日の予定だった。
長い旅で何を持って行こうと考えた時、なるべく軽い荷物で旅をしたかった。
荷物を入れるバックは画のキャンバスを入れるバックにした。背中に背負うことが出来た。そしてギター。荷物は紙一枚まで計算にいれた。
その当時カメラはフイルムカメラだった。カメラを外すことにした。観光地の写真は自分で撮影するよりも絵はがきの方が良いだろう、
自分の写真が欲しかったら誰か日本人観光客を見つけて写真を撮って貰おう。写真代金と送料を払って私宛に送ってもらおう。
一人旅で話をする相手が欲しい時は「写真を撮って」と言う事で「声かけ」が出来るはずだと考えてカメラを外した。

スペイン南部ロンダの町でジェフリ・ヒラー氏に出会った。

暗くなり始めた時刻「バール」の前でジェフリ・ヒラー氏に声をかけられた。何か本能的に<話してみたい人>の感じがあったので「バール」で一杯やりながら話したところ、彼がプロのカメラマンで「マラガ」から「ロンダ」に来たと言っていた。
National Geographicに投稿していると言っていた。この雑誌について多少知っていたので、「しめた!写真を撮って貰おう」と思って明日約束をした。
翌日、半日ジェフリ・ヒラー氏とその町の闘牛場やいろいろの場所で写真を撮って貰った。
日本に帰ってから暫くしてからNewYorkに住んでいたジェフリ・ヒラー氏から写真が送られて来た。
その後ジェフリ・ヒラー氏は来日。私もNewYorkに出かけた。長い長いお付き合いである。


ジェフリ・ヒラー氏の写真サイト

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by akiraogawaG | 2007-09-04 09:04 |

「人あるところ歌あり」旅する市村節夫さん。

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2007年7月9日。(月曜日)

5年振りで市村節夫氏が訪ねて来た。彼が活動しているミャンマーでの音楽教育ボランティアの話を聞いた。
そして次にミャンマーに出かける時の為のデーターを作った。

リコーダー奏者のY氏に電話をしたところ時間があると言うので私の家で急遽録音、CDを作ることになった。
曲目は日本の昔の歌と言うことで老人施設でボランティアで演奏するために編曲したものを転用した。
録音が済んで、三人で夕食をイタリヤレストランに出かけて久しぶりに長い時間話をした。

市村節夫さんは私とはまったく違う人生を歩んで来た。彼は公立学校の音楽教員として何十年も過ごした、そして最後の仕事は中学の校長であった。

「道楽、道楽ですよ」とミャンマーの音楽ボランティアを語る市村節夫さんには思いっきりの良い爽やかさがある。

子供の頃。市村節夫さんの母方の叔父がインパール作戦で戦死。その地に行ってみたかった、それがミャンマーだった。それがことの始まりになった。一年に二度ほど行き4週間各地を回る。活動は自己資金。いまでは情報を提供してくれるミャンマー在住の日本人がいるそうだ。

放浪の旅。村を見つけて入って行き、子供達に話しかける。リコーダを吹く、子供達が興味をしめしたら日本から持って来た学校で使っているプラスチックのリコーダをプレゼントして吹き方を教える。好奇心で目を輝かせている子供達の姿を見て、日本では失われてしまった「教えることの」感動を自分がもらっている事を感じて自分を幸せだと思うそうだ。彼は根っから教育者なのだ。

彼は日本の音楽の教科書をミャンマー語に翻訳して、本格的に音楽の基礎を教えようと計画している。出版社の了解も得ているとの話を聞いて、この人本気だと私は感じた。

「ギターをもって一緒にミャンマーに行ってくださいよ、みんなほんとに喜びますよ」。旅へのいざないに僕は胸をときめかせている。
市村節夫さんのホームページ
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by akiraogawaG | 2007-07-12 23:04 |