<   2005年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

川島レイさんとシタール

「上がれ!空き缶衛星」(新潮社)を出して世間の注目を集めた川島レイさんが、今度はその続編になる「キューブサット物語」(エクスナレッジ)を出版した。

ジュース缶サイズの衛星打ち上げ成功を書いた「上がれ!空き缶衛星」。10センチ角サイズの「キューブサット」打ち上げ成功を書いた「キューブサット物語」

この二冊の本はまさしく青春物語である。

ところで私はこの本について書こうとしているのではない。
川島レイさんがインドの古典的楽器「シタール」を演奏するのを聴いた事があるのです。写真はその時のもの。

シタールはギターと同じ発弦楽器であるが、共鳴弦を持つなどギターと比べたら複雑な構造になっている。

同じ発弦楽器の奏者として言えることは自分の弾いた音が自分の身体の中で響く、又周りの空間に飛んだ音が床、壁、天井、にぶつかり反射して自分に帰ってくる。その内外の音空間の中にいる至福感、それが演奏者へのご褒美である。その至福感を川島レイさんも感じているに違いないと思ってしまうのです。

インドのシタール奏者ラビ・シャンカールの初来日コンサートは凄かった。私がシタールとはじめて遭遇した忘れられない夜。

そのシタールを川島レイさんが弾く!何て事でしょう。

不思議ですよね、不思議ではない。人工衛星や未来学が専門の川島レイさんがシタールを演奏している。

ギターを弾いている私、パソコンを操作している私、本を読んでいる私、美味しい食べ物を想像している私、親しい友人と話している私、海の水辺線を眺めている私、している事は違っていてもみんな同じ根っこから生えた枝枝だ。

川島レイさんはどうなのだろう。私は今度川島レイさんにお目にかかった時、いろいろ聞いてみようと…。そうして新しく買った「キューブサット物語」の本にサインを貰おうっと。
d0015174_22344888.jpg

[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-29 22:31

ご近所付き合い

ギターを仕事にしていると、言われのない差別を受けることになる。
どうやら音楽で生計をたてると言うのが理解できないからであろう。
何やら怪しい人物と思われるからである。
親もとの近くで住居を持ち仕事の拠点にするか、或いはメデイアで知られるようになれば怪しい人物でなくなる。

以前朝日新聞に写真入りで私の事が載ったら何時も行く郵便局の職員の態度が一変した。
ご近所さんが急に笑顔で対応してくれた。つまりは身元が証明されたからである。
世間とはそうしたものである。であるから音楽家で生きようと思ったらご近所さんに自分をアピールする必要がある。

まずは健全な家庭生活を営むこと、そして自分がどんな仕事をしているかご近所さんに知らせる事。

さすれば生徒さんも増え収入も上がるだろう。また「扉はいつも開いています」と言う環境も必要なことだ。

残念ながら私は上記の事は全て失敗した。離婚もし、次から次へ恋人を作つた。又、知らない顔の人達が何人も出入りしたりする。ご近所が怪しい人間と何となく決めてしまうのは無理からぬ事だ。私も言われもなくご近所をすくなからず増悪した。

私はギターを選んで本当によかったと思う。ギターでなければ音楽生活を続けられなかった。何故ならギターは音が小さいのでご近所迷惑にはならない。ピアノの場合はそうは行くまい。大変だなー!。

私のギターで過去2回ほど問題が起こったが回避出来た。

一度目はアパートに住んでいたころ、お隣さんの通報でお巡りさんがやって来た。お巡りさんが私のギターを聞いて「大した事ではない。ご注意を…」で終わった。

二度目はここの一軒家に移ってからで、前の小母さんから電話で直接音が大きいと言われたから「うれしいなー!僕の出す音はお宅まで聞こえるのですか…」と言ったらそれ以後は電話はかからなくなった。

現在のところに住むようになってから10年を越えた。今年町内会の役員を何だか知らぬ間にやることになってしまった。

役職は保健推進委員

どうも役所が進める保健衛生行政の伝達役であるらしい。

d0015174_10293091.jpg

[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-27 10:27

長野の農婦

「信州信濃の山奥で…」と言う歌を小さい頃歌った事を覚えていた。
桜を撮りに来たカメラマンが枝垂れ桜を三脚を立てて撮影仕事。わたしはとうに桜を撮る事に飽きてタンポポの咲く地面にべたりと腰を下ろして、そこで農作業をしていた農婦と話をする。写真撮影を了解してもらってシャッターを押す。
小さな山沿いの村、神社があって桜が満開だ。赤い鳥居がある。明るい墓地がある。
枝垂れ桜が咲いている。枝垂れ桜をお墓に植える習慣があるそうだ。枝垂れ桜は丈夫な桜で長持ちするので亡者を長く弔うのに相応しいのだと言う話を同行のカメラマンから聞いた。
私は観光地巡りの旅は好まない。人が多すぎて楽しめないからだ。私は旅先で見知らぬ人と話をするのが好きだ。旅行の楽しみの一つになっている。
今年は贅沢なことに二度も春を味わった。
d0015174_9361.jpg

[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-27 09:02

再読 Viktor E. Frankl著「夜と霧」

人間の歴史が始まって以来今日まで世界は狂ったように暴力の応酬に明け暮れている。私がなぜなぜと考えても考えても分からない。もしかしたら世界の誰も分からない事なのかも知れない。そう言うものだと言う楽観主義に組することに私は心情的に出来ない。ここのところ世界は多くの問題が噴出して騒がしい。危険な状況が感じられる。

そこで改めて私の人生に大きな影響を与えた「夜と霧」を昔に帰って読んでみた。
「人間とは?」と言う精神的疑問符にこれほど迫った本は無い。

多くの優れた文学や哲学書が観念の中の真実の追求書であるとすれば「夜と霧」はナチ強制収容所の生き残りであるFranklの事実追求書である。見た、聞いた、触った、嗅いだ、そして考えた。精神科医としてのレポートを冷徹に書いたものだ。

私はお茶を楽しみながら「私はどんなことがあっても人殺しはしない」と公言するような人を私はおおむね信じないことにしている。極限最悪の状況は人間をとことん堕落させるからだ。私自身自らを過大評価してはいないから危ない存在だ、幸いそのような状況に遭遇していない。

「異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動であるのである」と言う記述はこの本の中の状況説明になる。

少ない数のある人達がその堕落を心のなかで食い止める強靱な自由も持っていた。そしてそれはまさに人間が選択出来うるひとかけらの自由が存在する事を証明した。これがこの本の主題である。

静かで殺風景な冬景色の中での号令、鞭打ち、悲鳴、凍傷、糞尿まみれ、大量殺人工場の煙突から出る悪臭と言うイメージがからみついてくる。

この本を読んでしまった人はそのイメージを洗い流してきれいにすることが出来ない。これは生涯にわたって続くのである。

そうした悲劇はそれ以後何度も繰り返された。

科学技術の進歩は更なる巨大な悲劇を用意している。

人間と人間が戦うことが終わりを告げ、近未来の戦争は人間とロボットが戦う事になるだろう。そこでは完璧に意識や感覚の喪失が生まれる。

もうそれはすでに始まっている。

それでも神は存在するだろうか?
[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-23 11:00

山荘

G氏が丹誠込めて作った長野県学者村の山荘へ連休前の来週に出かける予定。
今回で三回目になる。G氏の友人のカメラマンH氏ともう一人のH氏が同行することになるので、私を含めて四人。二泊三日の旅になる。

「人が遊んでいる時は仕事をして、人が働いている時遊ぶ」
長年のライフスタイルだ。

山荘は何もない山の中。窓から天気が良ければ浅間山がみえる。気持ちの良い部屋と囲炉裏のあるダイニング。ウオシュレットトイレ。山林を眺められる檜のお風呂。電話無し。

G氏はこの山荘について「私の棺桶」と称している。


彼の話によると夜中にふと起きて家族に置き手紙「長野に行く」と書いて車を走らせ来てしまうと言う事もあると話をしていた。

d0015174_8305643.jpg

[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-18 08:27

タブ譜について…友への返事

私が私の教室のギター発表会のプログラムに「タブ譜」の事を書いたら貴方から楽譜の読めない人がギターはじめるのに役に立つ。であるから必要とのお話だったですよね。
あれからずーと「タブ譜」について考えて来ました。
私が基本的に「タブ譜」に反対する理由を書きます。
音楽共通言語とでも言うべき五線楽譜を初めから学習するのが大切だと考えているからです。いくら「タブ譜」が素人に分かりやすいとしても「タブ譜」を読むには、それなりの学習や馴れが必要です。それだけの時間とエネルギーを五線楽譜に振り向けた方がどんなに良いかは明快です。
私自身もリュートタブ譜の講座を受けたことがあり、その時はかなり読めるようになりギター譜への変換も出来ましたが普段使わないため忘れました。
たいていの人は一度パソコンで言うところの一つのインターフェイスを覚えてしまうと他の方法に乗り換えることは面倒で拒否するものです。ましてやそれで事が済んでしまうと乗り換えをしたくないものです。そこで私の教室でも「タブ譜」でギターを弾く人がいましたが、そのような人に五線楽譜の重要性を話して五線楽譜を学習することを勧めました。思った程困難な事にはなりませんでした。私はト音記号を手書きさせ「G」がどんな意味を持つかと言う事から説明すると理解してもらえます。
音楽が五線楽譜の形になったには長い歴史があることはあなたもよくご存じの事だと思います。現時点で音楽のメデイアとして五線楽譜以上のものはありません。
例えば「タブ譜」でギターを弾く人が歌手と合わせをするとしましょう。歌い手がギターの「タブ譜」を見ても分かりませんよね。「そこそこ!その音」と楽譜や音名で指示は出来ません。これって致命的ですよね。もの凄い優秀な音楽家ならそんなものはどうでもよくなってしまいますが、大抵は凡庸な音楽家なのです。
こんな話はどうですか…。
私のギターのお弟子さんが何故か突然ベートーベンの「月光ソナタ」第一楽章Adagioに恋をしました。ピアノを手に入れてそれから何ヶ月間練習に励みました。初めてピアノを弾いたのです。そうして弾けるようになったから聴いてくれと言うので聴きました。一応曲になっていて恋は実りました。そうして恋は終わり、またギターに戻りました。
五線楽譜の知識があったからこそ出来たことです。
d0015174_14375959.jpg

[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-15 14:36

プロとは

TVで「イチロー」を見ていると「プロだなー」と思う。
プロギターリストは確かにいる。しかし本当のところプロに価するギター奏者はどれだけいるだろうか?
プロとはどの程度なのかと考えてみるがどうもはっきりしない。例えばコンピュータのプロは少なくとも簡単なプログラムソースぐらいは書ける人。クラッシックの音楽家なら少なくもバッハは弾ける人などなど…。だが、どうも分からない。もしかすると技で考えるよりもそれで生活出来ている人。税金の申告をしている人。の方が分かりやすい。
こんな話はどうだろう。アメリカの作曲家ガーシュウインがラヴェルを訪ねたそうして音楽の指導を懇願したところ、ラヴェルは「あなたの収入は…」とガーシュウインに聞いた。「あなたの収入は私より多い…教えることはない」と断った。
どうもプロと言うのは技のことよりは先に「いくら稼いでいるか」が先にくる。納得。
日本で音楽家と呼ばれている人は大勢いるが殆どが女の人だ。家庭の主婦か親元で暮らす娘さん。彼女等はその家庭の経済の実権を握っているわけではない。
だから豊かである。自分の稼いだお金で好きな音楽会に行き、自分専用の車に乗り、美味しい食べ物も知っている。海外研修にも出かける。たまには舞台もする。
「いくら稼いでいるか」で考えるとまさしくセミプロ集団である。無論そうではない人もいるが少数派だ。
彼女らは専門の音楽教育を受けているのでその技術も内容もかなり高レベルである。そうした人たちがこの国の音楽文化を支えている。
私とは生活感覚が違う。彼女らは怖いもの無し、私は怖いものだらけ…。
そこで大事なのは「人の事を思いやる気持ち」と言うことになる。
私がかってしばしば共演していたK夫人などは演奏曲目の楽譜を買って来てくれてコピーをよく呉れた。「だって、たいへんでしょう」細かい心使いが本当に嬉しかった。
[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-08 07:23

イースターコンサート

ピアニストの大山陽子さんが企画したイースターコンサートに4月2日出演した。
大山陽子さんは「日本の聖歌」の作者。父親の丸田省三氏の言葉に曲をつけている。
親子二代にわたっての仕事を成し遂げている。
大山陽子さんはバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を弾いた。
私はR・V・ビゼーの「ニ短調組曲」を弾いた。他に工藤延男氏の小品が一つ加わった。工藤氏の作品は私がギターに編曲したものを私が弾いた。お客さんはかなり入っていて盛会。
大山陽子さんはなかなか暗譜は出来ないので譜面を見て弾くと言っていたが、なんと暗譜で弾いてるではないか! 私は彼女に合わせて暗譜で弾くことをやめたと言うのに、なんたる事!
暗譜で弾くべきであった。ギターソロは暗譜といつも私は決めているのだ。油断をした。
どちらも出来るようにしておくべきだった。
来週の土曜日(9日)は私のギター教室の発表会だ。何とか楽しみながらやりたいものだ。
d0015174_23481245.jpg

[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-02 23:27

国民健康保険 国民年金

2005春桜が咲いた。
私の事を「年金」が入っている上に働いているから「余裕の人生」と見ている人は多い。他人が勝手に私の事を想像するのは自由。「余裕の人生」は私に有利に働くからそのままにしている。しかし毎月青い気吐息であることは、昔から何も変わっていない。
政治家の国民年金不払いが問題になったが私は制度が始まった以降何年間は払ったが音楽仲間で「信用出来ないよね…」の話に同調して不払いになった。従って国民年金の支給はなし。払った分は寄付したと割り切った。一生働く気でいたし仕事に自信があった。収入が零になるときは「病気」「死」の時だ。「病気」は復活の見込みがあるかもしれないので国民健康保険と民間の医療保険を滞納しながらも払った。国民健康保険はまた取り立てが厳しかった。こんな事があった。区役所から呼び出しが来て滞納分の国民健康保険料を払えと言うから滞納分の一部を支払った。「この次は何時…」「お金が入った時」「それでは困る約束して呉れ」。からかってやろうと思って「おばさん 私のような滞納者がいるからあんたは仕事にありつけているのでしょう」と言ってやった。泥棒がいるからお巡りさん必要の論理。ああ恥ずかしい。
10年前病気で三ヶ月入院した。この時期を境に医療機関とは縁が切れない。若い芸術家が老後の事を考えるなんて「絵」は私にはない。もし貴方が老後生活を心配するなら、即仕事を変えなさいと言いたい。
経済的に余裕が無いときでも国民健康保険料は払った方が良い。お勧め。「長生きも芸のうち」貴方の技さえあれば何も心配することはない。

d0015174_10342164.jpg

[PR]
by akiraogawaG | 2005-04-02 10:36