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我等の時代

私は戦後の民主主義の教育を受けた。中学生の社会科の授業が好きであった。理由は先生がカッコ良かった。出席簿と白いチョークだけを持って教室に入ってくる。教科書は持ってない、殆ど教科書は教えない。まるで落語の名人のように民主主義の組織論を展開する。こんな社会が実現出来るのは何と素晴らしいと思った。
それから約半世紀、この国の社会は民主主義をどのくらい実現出来たのだろうか?
中学時代私の伯父が共産党から立候補して国会議員をしていた。この伯父は元々物理学の学者でいくつの訳本で知られていた人で、戦前巣鴨に入っていた。終戦と同時に解放されて政治家になった。
その伯父の選挙区が私の家族の住んでいたところだったので立ち会い演説会を聴きにいった覚えがある。その時、この人は何を言っているんだと感じた。
私の家のお隣に白髪の老婆が住んでいて、その老婆が私に「貴方の伯父さんに投票しましたよ」と言われた。私の家ではその伯父に誰も投票などしていなかったのでびっくりしてしまった。家族は「考えが違う」と言ってその伯父に投票しなかった。
その老婆は多分お知り合いだから投票したと言うのであろう。民主主義の子供だった私はこの時、この国の人達はまだまだと思った。
今も国会議員の成り立ちを見ると、そこには世襲制度があるのかと思われ程世襲が幅をきかせている。別に優秀な議員ならこの事情を悪いとは思わないが、国会議員になるのには地盤と言おうか、階級と言おうか、血族と言おうかが必要なのかと思ってしまう。
来月衆議院議員の選挙が11日に行われる。私はコネも義理も主義も信じていないのであるから選挙はいつも苦しい。それでも誰かに投票することになる。
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by akiraogawaG | 2005-08-13 09:40

Silvius Leopold Weiss 1687-1750

レオポルド・ワァイス作曲のイ短調組曲をここのところ弾いている。プレリュード、アレマンデ、サラバンデ、ガボット、ジーグの5曲からなるギター作品はなかなか見事なもので楽しめる。
大バッハの影に隠れて彼の作品はほぼ200年間忘れられていたそうだ。
ところでこの組曲なるものは果たしてワァイスの作品なのだろうかギターの世界で議論を呼んできた。
どうも20世紀メキシコの作曲家マヌエル・ポンセのものではないかと言われてきた。これを恐らく最初にこの曲を舞台にあげたアンドレス・セゴビヤとポンセの間でワァイスのものにしておこうと言うような秘密約束が有ったとも言われている。
曲を弾いてみれば分かるがどうしてもポンセの作品に違いないと思われる。近現代のギター作品にみられるギター特有の音楽作りがそこには見られる。
もしこの作品がポンセのものであったとしたら、彼はワァイスの名前を語ってこの曲を成功させたと考えるべきだ。
この曲をポンセ作曲とプログラムに書いて演奏する人はいない。
この曲はワァイスの作品になっているのである。

200年前の作曲家の作品として世に出すことはいけないことなのだろうか?
無論著作権料は入らないがしかし演奏される機会が多くなれば人々は関心をもって呉れる。そしてなにより話題性がそこには有る。
ちなみに大バッハの作品の多くがパロディであることはよく知られた事実だ。
何から何まで今まで無かった音楽と言うものがあるのだろうか答えは「ない」である。
「影響」と言う言葉がある。「似ている」と言う言葉もある。「何処かにあったような」と言うのも有る。

他の分野にこのようなものが無いかなと身の回りを回すと水村美苗作「続明暗」と言う名作がある。
夏目漱石の文体を踏襲しながら漱石の未完の作品「明暗」の続編を書いている。

音楽の上の著作権とは何なんだろうと思う。
もう一度音楽家とは何者と言う議論をするべきだと思う。
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by akiraogawaG | 2005-08-09 08:29