<   2008年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

雨の日曜日、サイクリングをやめ、鎌倉へ音楽会へ

d0015174_9312390.jpg


d0015174_9321859.jpg

16日の日曜日は大和市の鶴間から境川サイクリングロードを下る予定を立てたが雨で中止になった。そこでピアニストの長島陽子さんのピアノを聴きに行くことになった。午後2時。場所は鎌倉由比ヶ浜通りにある「オリーブの木」。そこで長島陽子さんがお喋りしながらピアノを弾く、さらにバイオリンとの合わせもあると言うのでY氏とM氏と三人で出かけた。
お店の中は25名ほどのお客さんが入ると一杯になる。お客さんが肘つき合わせて聴く音楽会はコンサートホールで聴く音楽会とは別の「暖かさ」がある。
長嶋陽子さんはピアノについての初歩的な説明とご自身が精神的なよりどころにしているショパンのバラードを弾いた。曲の中に折り込まれているショパンの心理ドラマを推論解説してから弾き始めた。
ピアノとバイオリンの合わせでは良く知られたいくつかの小品を弾いて、お客さんに喜ばれていた。お茶の時間にはバイオリンとピアノのBGMまで演奏すると言うサービスぶり。お疲れさまでした。
今回の企画は鎌倉在住のY氏がボランティアでしているものの一つであった。これまでにも音楽以外にも「リニアモーターカーのお話」「俳句のお話」「ジェット旅客機のパイロットの経験談」などをしたそうだ。こうした催しは私も横浜や藤沢でいくつも経験があるがお店のオーナーと主催者のスタンスが揺るがないことが長続きの結果を生み「柔らかな固定されたサロン」を作り上げることが可能となる。
マネージャのY氏とお話のなかで近い時間にギターについて話をしたり演奏をする会を私に戴けると言うことを聞いてやってみようかな!と言う気になっている。
[PR]
by akiraogawaG | 2008-11-17 09:42 | 小さな音楽会

川崎マンドリンクラブ60周年記念演奏会

d0015174_8552251.jpg

私のお弟子さんのMさんがメンバーである川崎マンドリンクラブ60周年記念演奏会が川崎幸文化館で11月15日に開かれた。何年か前にもここのクラブの演奏会を聴いている。地味な活動をしているグループでアマチュアの団体として上質な演奏をする。指導者が優れている。ギター奏者の手の動きを見ていてもあの程度のテクニックで良くもあんなに長い曲や難しい曲を演奏してしまうかよく分からない。多分指導者が優れているのである。曲目はマンドリンアンサンブルの原曲、ギターの合奏、チャイコフスキーの「くるみわり人形」と盛りだくさんだつた。ギターマンドリン以外にも川崎にあるオーケストラの団員の応援でフルート、ファゴット、オーボ、打楽器が入って曲を盛り上げていた。

我が国に於けるマンドリンギターアンサンブルはシンフォーにオーケストラが入る前に盛んに行われた分野で今では時代遅れの感はあるものの多くのマンドリンギター愛好者の間で楽しまれて分野だ。我が国に於いてはギターはその後ギター独奏の分野に発展して行く、多くの先輩たちの努力で今日の優秀な若いギター演奏家を生んだ。マンドリンギターアンサンブルは趣味的感覚で続いている。マンドリンギターアンサンブルはマンドリンギターの愛好者が本格的なオーケストラを小さくまとまった型で楽しめると言うもので音楽の基本を学ぶのにとても良い。ギターアンサンブルはギターの愛好者たちがともするとやりたがる分野だがこれは面白くはない。一つのギターが15台のギターになっても15倍の音量にはならない。このコンサートではコントラベースが入っていたので音楽の支えがしっかりとして聴ける音楽にはなっていた。不思議なことだが一台のギターの音よりは小さく感じてしまう。むろんそれは間違いなのだが、多分指が弦を打つ時ののタッチの差が音を消しあう作用に働くのではないかと思われる。データ波形として見たわけではないので正確には言えない。今度データを見て見たいものだ。

この演奏会のように大勢のお客さんがいてマンドリンギターを弾ける楽しみは大きな喜びにもなっているのだろう。
[PR]
by akiraogawaG | 2008-11-16 09:33 | ギター

詩人 秋元 潔の死

d0015174_1045196.jpg
d0015174_10454016.jpg

詩人秋元 潔の死



偶然にうん〜どうしてそこにたどり着いたのか分からない。昔の親友の「死」を知った。

詩人の秋元 潔が亡くなっていたのを詩人の
鈴木志郎康さんのブログで知った。

時折、秋元 潔の検索はしていたのだが本屋さんが作ったページの本のデータベースしか出てこなかった。

「尾形亀之助論」この詩人について彼は私によく話してくれていた。

詩人秋元 潔は私の原点である。

秋元 潔は高校の時の同級生だ。彼は俳句を書いていて、私は音楽をしていて学校では別に交流があったわけではなかった。私が高校2年の時に病気をして長期学校を休学していたときに手紙をくれた。

それが付き合いの始まりになった。

こんな事があった。秋元 潔は大学の授業に出たり出なかったりの生活を送っていた。
私は私で病後の療養をしていて毎日本を読んだりギターを弾いたり、散歩をしたりして暮らしていた。
ある日鎌倉の山の中にある池で一人ぼんやりとしていたら何故か偶然彼が現れた。
その時運命的にこの人と深い繋がりを持って生きて行くことになるなと思った。
私は彼の作品に憧れ、その作品の中から世界を見るようにさえなった。彼の真似さえ始めた。

それなのに次第にお付き合いが無くなっていった。

会うことも無くなった。しかし私の原点に秋元 潔はいまもいる。

彼の作品をまた読んで見よう。

写真は20代はじめの秋元潔、真ん中が小川彰、もう一人は長崎の鳥巣敏行。
もうひとつ、秋元潔からの私宛の葉書。

秋元潔の初期作品
[PR]
by akiraogawaG | 2008-11-08 10:47 | 友達

横浜トリエンナーレで土方巽に出会う。

d0015174_8233592.jpg

芸術は現実社会よりも上でなければ意味がない。
横浜トリエンナーレの作品を観ていてつくづく現実社会の方が上だと思った。「金融危機」「振り込め詐欺」「貧困ビジネス」の方が上だ!人間の想像力、人間の心を動かすこれらの事件の方が技が上なのである。芸術を「玩具」と言うのならそれはそれで完結してしまう。しかし「芸術」は玩具ではない。未来に向かってのメッセージだと思う。特に横浜トリエンナーレはそうした催し物であるはずなのにそれが希薄だ。ここで観られた新しい素材作品は面白いが、60年代70年代の現代芸術を観てきたものにとっては閉塞感を感じてしまう。

「土方巽」の舞台映像に人が群がっていた。ひどいぼやけた映像の「土方巽」が踊っている。「踊り」とも「のたうち」も分からない虫の喘ぎのような踊りは不思議な魅力に溢れている。芸術は現実社会が極度な貧困でも存在するし、豊かな社会でも存在する。何故なら「人は誰でも芸術家」であるからである。ただ表現するか表現しないかのわずかな差が人を2分する。後は技術である。三年前の横浜トリエンナーレの方が上だった。こうした衰退していくお祭りはいずれ無くなるだろう。それも仕方ないことだ。唯一進んだのは会場での写真撮影が認められた事位だ。
*写真は展覧されている作品ではありません。
[PR]
by akiraogawaG | 2008-11-05 08:37 | 芸術