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二階堂正宏先生に会う。

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先日鎌倉で開かれていた「二階堂正宏、小山賢太郎、二人展」で何年ぶりかで二階堂正宏先生にお会いした。
先生のご本を二冊買ってしまった。「鬼平生可帳」「ムーさん2」前者は『あまりに下品なので途中で連載を切られた逸品です。』と云うサブタイトルがついている。後者は『早い、短い、小さいそれでも受けいれてくれる女たちがいる、ここにいる。』と云うサブタイトルがついている。いずれもやりまくるコント漫画である。なにをやりまくるのかそれは性交。交合。まぐわい。

大分前の話になるが二階堂正宏先生の二階堂にあるご自宅へ知りあいが連れて行ってくれた事があった。ギターを持っていってギターを弾いた。その時の様子を先生が似顔絵で描いたのがこの絵。先生は似顔絵を沢山描いているので忘れているに違いない。

その時先生は「私はドフトエフスキーを…」と云われた。風が吹けば桶屋が儲かる式の論理で行けば<性を描く事は人間を描く事になる。人間を描く事は世の中を描く事になる。世の中を描く事は政治を描く事になる。経済を描く事になる。世界を描く事になる。宇宙を描く事になる。宗教を描く事になる。>と果てしがなく続く。性とはまさしく奥の深いものである。

この二冊の本が今の偽善的世の中で一部の人たちに珍重され同時に多くの人に大きく非難されるのはしごく当然とも云える。偽善的世の中であるから本当の事云うことが非難される。本の中で先生は性を読者と共に笑い、苦しみ、遊んでいる。考えてみるとそれは二階堂正宏先生に始まった事ではない。我が国のとてつもなく古い時代から同じテーマは絵や文で繰り返されて来たことだ。先生はそれを現代継承としている。そうぼくが云うのは簡単な事だが、仕事としてそれをやり抜くのはそりゃ大変な事だ。まずは、私は危険人物ですよと世の中に向かって自己宣言しているような仕事だ。ほんとうは何も危険人物ではない先生なのだから、二律相反に生きなければならない。それを反転させた生き方を殆どの人が選ぶ。そうして善男善女がうまれる。人は仮構に生きる。表現とはまさしく命がけの行為。先生はそれを成功させている。

相変わらず二階堂正宏先生の筆画は美しい。「速い、きれい、面白い」と云う三っが浮かんだ。

二階堂正宏先生の絵はここには乗せられない。著作権があるだろうし、またきっとインターネットサイトの監視官がチェックしているに違いない。ご覧になりたい方は本をお買いになる事ですな。
by akiraogawaG | 2009-11-13 22:25 | 芸術
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